60周年記念インタビュー 取締役相談役 西岡 明

より良い商品を一番早く作ること。それが、当社のものづくりの精神です。

1966年に機械工場、1972年に鴫野工場を作られメーカーへの道を歩み出されています。
ものづくりに対してはどのような想いをお持ちだったのでしょうか。

私は工業学校の出身なので、ものづくりには興味がありました。創業間もない頃から協力先様に頼んで自社商品を作って売っていましたから、会社としても元々の土壌もあったと思います。ものづくりにおいて大切にしてきたことは、「より良い商品を一番早く作ること」ですね。一番早くというのは、世の中で一番早く作るという意味もありますし、製造期間をできるだけ短く、そして質の良いものを作って、お客様に届けるという意味もあります。 岐阜工場を設立したのは1980年のことです。当時、岐阜県山県郡美山村というところに蛇口のメーカーがたくさんあり、当社の工場を構えるのにも岐阜県は好適な土地だったと思います。

全体を振り返りますと、オイルショックなど日本経済の危機や停滞もありました。経営者としてのご苦労や嬉しかったことをお教えください。

オイルショックの影響はあまりなかったと思います。当時、会社が勢いづいていたときでもありますし、今ほど市場も広くなかった時期でしたから。全体を振り返っても、資金繰りで困ったことはありますが、苦しかった、というほどのことはありません。ハンドシャワーに出会えたことや岐阜の地に工場ができたことなど、運にも恵まれ、幸せだったと思います。

創業されて60年がたちますが、
会社として事業が継続してきた理由をどのようにお考えでしょうか。

それはもう、「日々最善」という言葉の通りです。皆が毎日ベストを尽くしてやってきたからだと思います。長い間の積み重ねで、社員たちがそういう社風を育んできてくれたことも重要な要素です。いろんな時期がありましたが、私自身も、もともとくよくよしない性格で、呑気なところが幸いしたのではないかと思っています。

それでは、これからの三栄水栓を担う人々にメッセージをお願いいたします。

今まで三栄水栓が目指してきた道をまっすぐ進んでいくのが良いと思います。社員の皆さんへのメッセージは、一生懸命物事にあたっていただきたい、ただそれだけですね。